雑語りインフルエンサーに抗議する、ランボー怒りの事務職

このゲームなんかのブログとは別に私は趣味の写真用のブログがノートにあります。

あっちは去年の秋から止まったままなんですけど、COVID-19感染症や天候不順でなかなか撮影に行けない状態ですね。
今年度から現場と本部の繋ぎ役ということで裏方事務職になったので、人間らしい生活と時間が取れるようになったんでまあそのうち写真を撮りに行きたいところです。

私が今のポジションになったのは偏に現場の皆からとても信頼してもらってるという事です。言わばクッション役なので少なくとも現場の皆の期待を裏切らないようにしたいところです。
私が信頼されている理由に「基本的に怒らない」ってのがあります。
失敗に対する注意、指導はしますがね。
私の持論には「怒るからミスを隠す、嘘をつく」というのがありまして。
何度ミスしても怒らず話を聞いて、必要に応じて指導するようにしています。
失敗、ミスなんてあって当たり前。誰もが最初から一人前ではない。一回指導したところで身につくわけではない。
山本五十六連合艦隊司令もそのような言葉を遺していますね。
基本的な事なんですけど、この思考がちゃんと出来るようになるまでなかなか大変です。

先日、度々専門家からツッコミを入れられてる主語クソデカ雑語りインフルエンサーアカウントのツイートを目にしまして。
(最近は精神科医にもつっこまれてましたよね。)

 怒らない人間は冷血ととられるような事を言ってます。まあいつもの雑な語りです。
この言が真実なら人を育てるという事を否定している事になります。
抑もそのような冷血な人間なら見捨てられた方がよいでしょうに。

私のような会社のポジションにいる人や接客サービス業の名誉のためあえて否定します。相手に対しそのような目を向けているかというと、熟練者であるほど諦観などはありません。
我々は悪意のあるなしで判断する事が大きく、相手の言葉、行動を理解しようとする事から始まります。
自分なりにポジティブに理解する事で相手に対するネガティブな思考はなくなり、寛容になれます。
これが私が部下に指導する「仕方ない」の原理なんですね。

部下に伝えている私なりの怒りのメカニズム。


まずお茶碗を思い浮かべてください。
お茶碗の大きさが心のキャパシティです。上から常にストレスと言う水が少しずつ注がれており、容量が大きいほど寛容です。
ストレスが容量を超えると水が溢れる=所謂感情の爆発が起こります。
お茶碗の縁は自身の怒りのセンサーです。逆鱗です。
空の茶碗を水に沈めると縁から水が入りたちまち一杯になりますね。
これは茶碗の容量に関係なく自分にとって許容できない部分となります。
この許容できない部分というのがよく「このくらいで怒る事ないのに」と言われるもので、怒りの蓄積など関係ありません。
いくら温厚な人でも大切な物を傷つけられれば瞬時に怒ります。
人の怒りというのはこの2種類に分けられます。
怒らない人はストレスという水の処理の仕方が上手な人なのです。その処理方法のひとつが、相手の行動をポジティブに理解して「仕方ない」で済ませる方法です。

そして基本的に怒らない私がこのクソツイートに怒っている。どういう事かわかりますね。

「怒るよりも見捨てた方が楽」の弁は昔何かの漫画で目にした事がありますが、それはシチュエーションによる物です。
期待するからこそ見捨てず、期待するからこそ相手が萎縮してしまわないよう気を使う。
我々接客業のプロはアンガーコントロールを身につけています。お客様や部下に期待しない、見捨てていると言う事は断じてありません。
そんな感情では心からの笑顔も、おもてなしも、優れた人材の育成も絶対に出来ません。
ただ漠然とした「怒らない人」という概念で「こう言う人は冷血だ」と取られる言い方は著しく印象をねじ曲げるものです。

まあこのアカウントを「代弁者」「なんかいい事っぽいのを呟いてる人」と有り難がってる側にも問題はあるんですけどね。
だってその言をなんの疑いもなく鵜呑みしてるんですから。カルトや詐欺に集られないといいですね。
私の予測ですがこのアカウントは多分ちょっとした事で大炎上しますよ。雑語りを専門家からつっこまれても訂正も謝罪もしてません。
肥大化した承認欲求の方が顕著になるのも時間の問題でしょうね。